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悪しき「数学本の写経」について

数学の本の内容を理解する前にそこに書いてあることをノートにまとめながら勉強することは普通の行為に過ぎず、悪しき「写経」ではない。しかし、内容を理解しないままでずっと数学の本の記述を忠実にノートに写し続ける悪しき「写経」を行うのは馬鹿げているので止めた方がよいと思う。
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返信先: さん

理解できない状況に追い込まれたときに理解できるようにしなければいけないのですが、それにはたくさんの方法があります。特効薬はない。理解できない状況に追い込まれているんだから、何らかの試行錯誤が絶対に必要になる。理解するための試行錯誤をしたことがない人は苦労すると思う。

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返信先: さん

「論理的スキルを鍛えること」は「せんせー、これであってますか?」と一生のあいだ言わずにすむようになることだと説明すれば、わかりやすいかな?

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返信先: さん

数学に限らず、どの分野であっても、大学レベルの事柄について学ぶということは、「先生」に「これであってますか?」と聞く必要が無くなるようになることだと思います。大学院では「先生」に「あなたの研究について教えて下さい」と逆に言われるようになることが目標。

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返信先: さん

ツイッターを「数学 写経」で検索したら、ある種の人達のあいだで「写経」なる勉強の仕方が広まっているように見えた。理解できなさそうなことを理解するためには多彩な試行錯誤の手段があるのに、最も貧しくてくだらない方法(写経)を広めている人達がいるように見えた。

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返信先: さん

返答連鎖を読み直して、誤解を招く言い方になっていることに気付いたので補足。数学科の学生にとって「せんせー、これであってますか?」と言わなくてすむだけの論理的スキルを身に付けること自体は決して最終目標にはならない。数学を理解するための手段として論理的スキルが必要なだけ。

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返信先: さん

リンク先で指摘した「数学は写経」という有害な考え方の普及の問題は「板書を写経」の問題ではなく(板書をノートにとるのは昔から普通、偉い先生も研究集会で一番前に座ってよくしている)、「本の写経」=「本を丸写しする勉強法」の普及の問題。

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返信先: さん

どの分野であろうと、理解できない状況に陥ったときには、どれだけ頭を使って理解するための試行錯誤するかが大事だと思うし、理解するための試行錯誤を効率よくやるスキルはものすごく役に立ちます。だからとても大事。

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返信先: さん

「板書を写経」と実際に言う人は見たことがない。「その場で上手にノートに記録をとる能力は大事だということ」や「板書をノートにとっただけで理解できるほど甘いことは大学で教えていない」を否定する人は少ないと思う。私が問題にしているのは「数学の本の写経」の方です。

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返信先: さん
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返信先: さん

実際に検索してみても「板書を写経」なんてことを言っている人は見当たらないように見えます。理解できないときに、理解できないまま本の記述を忠実にノートに写し取るというような貧しくてくだらない勉強法が大学レベルどころか高校レベルでも普及しているように見える。なにこれ?って感じ。

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返信先: さん

理解できないときに、理解しないままで本をうつしたりすることを繰り返したりせずに、かっこ悪く延々とじたばたし続けた方がいいです。じたばたしているうちに色々な技術が身に付きます。じたばたする経験がないと永久に大事なことが身に付かない。

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返信先: さん

難しい話を理解したかったら、頭をフル回転させる努力が必須なのは当たり前の話だと思う。頭をフル回転させる努力をせずに、おとなしく本に書いてあることを忠実に写しとってもダメなのも当たり前の話。

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返信先: さん

【初心者だと数学書・物理学書を「読めない」人がいる】数学書や物理学書を読むだけの国語力がない奴が本気で信じて本当に本に書いてあることをを忠実にノートに写し始めたらかわいそすぎ。あえて貧しいやり方を教えて苦しませる必要はないと思う。

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返信先: さん

「本に書いてあることを箇条書き(など)にして見易くまとめ直す」のようなよくある普通のやり方を教えてあげた方が親切だと思う。「写経」は完全にアウト。「数学の本を写経する」「証明を写経する」の類を本気で信じて実行した人はかわいそすぎ。

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返信先: さん

個人的な意見では算数教育がひどすぎるのだと思う。本当は「新しい概念に出会ったら算数を習ったときと同じように考えたらいいと思うよ」のように言えれば楽。算数では新しい概念が次々に出て来る。そういう大事な場面で「掛算順序固定強制」の類をやるから、普通の楽な頭の使い方をできなくなる。

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返信先: さん

たとえば、群論について教えると実際に算数の先生になったような気分を味わえます。相手は小さなかわいい子供ではなく、大きなお兄さん・お姉さんなのですが、新しい概念を教えなければいけないという点で子供に算数を教える先生と似た立場に立たされます。

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返信先: さん

たぶん、群について教わる側は「何のために何をやっているかわからない。群の定義は何なのかも不明。証明も抽象的過ぎて理解不能」のようになってしまう場合が多いと思う。算数で同じような場面に出会ったときに、先生の側が「教科書を写経しなさい」などと言ってしまったら完全にアウトでしょう。続く

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返信先: さん

続く。普通は「定義を理解できなかったら、色々な群の例をいじってみたら」のようなアドバイスが来ると思う。算数でもたくさんの例をやりますよね。図を描いて説明するというようなことも算数でよくやりますが、群論のような抽象代数を理解するためにも有効な方法です。続く

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返信先: さん

続き。算数を教わったときにはまだ子供だったので、理解のために必要な具体例を先生の側が全部説明してくれるし、図を描いた説明も全部先生がしてくれます。でも、大学ではそういうことを全部自分でやらないといけない。でも、小中高で正しく経験を積んでいればできるはずですよね。

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返信先: さん

続き。本を写経することが魅力的に見えてしまう件においては、「自分の意思で理解のために必要な何かを自前で準備する」という試行錯誤が必要な作業の経験が足りない点が致命的なのだと思います。経験が足りないなら、経験を増やすために、じたばたした方がいいと思う。

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返信先: さん

具体例の計算を何がどうなっているかを直観的に把握できるように全部自分の手で紙の上で繰り返し実行することは普通に数学を勉強していたら大昔からみんなやっていることですが、現代なら、コンピューを使ってもよいと思います。(実際多くの数学者もそうしている) どっちにしろ、試行錯誤必須。

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返信先: さん

何にも縛られずに好きなように延々と試行錯誤し続けて行けば大抵のことを理解できると思う。プログラミングでもお手本を写経するだけだとダメそうだよね。普通は、ソースをちょこっといじったり、真似してミニテストプログラムを大量に書きまくったりする。やはり、延々と試行錯誤。

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返信先: さん

ツイッターで「数学 写経」を検索→ ・数学の本を理解に達する前にそこに書いてあることをノートにまとめながら読もうとする←これは普通、悪しき「写経」ではない・数学の本を理解しないまま書き写す作業をずっと続ける←悪しき「写経」

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返信先: さん

全然理解できない記述を忠実に書き写し続けるというような行為はあまりにもバカげている。書いたり、声を出したり、他人の反応を聞いたりすることは理解の助けになるのでどんどんやった方がいい。理解してから書いたりするのではなく、理解するために書いたりする行為を利用することは普通。

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返信先: さん

理解する前に他人に説明しようと努力することは、話を聞いてくれる人さえいれば極めて効率的。理解していないことを説明しようと努力しているうちになぜか理解してしまうことはよくある。誰かの反応を得ることは、個人ではできないことを可能にするための基本的な方法だと思う。

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返信先: さん

たぶん、具体的に何をやったらいいのかわからない場合があるので、悪しき「写経」に走るというお馬鹿な行為も正当化されると思ってしまう人が出て来てしまうのでしょうが、具体的に何をやったらいいのかわからないときこそ、じたばた色々試してみる経験を積む最高の機会だと思う。きっと楽しめるはず。

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返信先: さん

もしかしたら、悪しき「数学本の写経」にも効果があったと感じている人がいるかもしれませんが、対照群が設定されていないので無意味。最低でも別の普通のやり方と比較してからじゃないと。

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返信先: さん、さん

フォロー外から失礼します。少々お聞きしたい事があるのですが、私は数学や物理を勉強する時に本の内容を写してしまいますが、式と式の行間や公式がなぜこうなるのかをノートに自分でつけくわてやっているのですがこれって写経と言うものの一部に入りますか?

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返信先: さん、さん

それ、普通の勉強の仕方だと思います。悪しき「写経」でも何でもないです。

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返信先: さん

数学の本の内容を書きながら勉強することは普通。私の学生時代の経験では1頁読むと清書したノートが最低4頁はできる。消費した計算用紙の量は最低でもその数倍になる。時間もめちゃくちゃ取られる。しかも最初の数年間はよく誤解して間違う。間違いに1年くらいして気付いてノートを修正したり。

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返信先: さん

本よりもずっと詳しく書くことが基本だと思う。あと、他人が書いた本は自分にとってわかりにくいので、自分にとってわかりやすい教科書を書く感じ。とにかく、時間がとられまくる。楽しいと思ってやっていなければ絶対に無理な感じ。

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返信先: さん

ほんとその通りで、いきなり最初に、論理的に完璧なノートを作れなくてもいいし、曖昧な点を全て明瞭にできなくてもいいとおもいます。数年かけて誤りを訂正し、曖昧な点を明瞭にして行けばよい。試行錯誤によった真理への逐次近似をするという方針。

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返信先: さん

数学者になった人だって、専門外のことを新たに勉強するときには、間違いながら、曖昧なところを明瞭にしながら、少しずつ完璧な理解にたどりつくわけですよね。論理的に問題なくても、全然理解できてなくて、苦労することもよくある。プロの自分自身さえやれないことを学生に要求しちゃダメ。

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返信先: さん

自分でやれる範囲内でのベストの明瞭さでノートを作って行き、後でダメだと思ったら、訂正したり、追記したり、大幅に書き直したりすればよいだけの話。

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返信先: さん

微積分や線形代数の教科書に書いてある証明も必ずしも問題の本質をとらえていると感じられないようなものがよくあります。昔から教科書に書かれていた証明のほとんどコピー&ペーストになっているだけの証明もよく見る。学生の側は教科書にもきちんと批判的になって欲しいです。写経を肯定すると無理。

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返信先: さん

例:1年生で習う微分学でもっとも重要な剰余項付きのTaylorの定理の証明の方針がどうなっているか?多くの本の証明は高木貞治『解析概論』の実質的なコピペになっていたりしないか?積分剰余項も部分積分による導出のコピペが氾濫していないか?どちらも全然悪くないのですが気になります。

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返信先: さん

ちなみに積分剰余項型Taylorの定理はf(x)=f(a)+∫_a^x f'(x_1)dx_1の右辺のf'(x_1)にこの公式を適用し、同様の繰り返すだけで証明できます。その方針なら部分積分は使わずにすむ。Talorの定理の各項が階乗で割られる理由もわかる。

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返信先: さん

Taylorの定理については の第11節を参照。

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返信先: さん

「写経」はろくでもない勉強法であり、他人にすすめている人達は数学的には悪者であるという話の続き。再度ググって状況を確認してみました。やはり、ひどいことになっている。「手間をかけても報われないやり方」と「難しい数学の勉強に関する甘い考え方」の同居が見られる。続く

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返信先: さん

続き。「本の内容の全体をノートにまとめ直しながら、省略されていた計算や証明の詳細を補う」というのは普通の勉強の仕方であり、私がバカ扱いしている「写経」ではありません。この違いを認識せずに、普通の勉強の仕方を「写経」と呼んでいた人達は、今度そういう言い方は止めるべきでしょう。続く

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返信先: さん

続き。私がこれはダメだと言っている「写経」は「理解しないまま(場合によっては何十回も)数学の本に書いてあることを忠実にノートに写し取ることの繰り返し」です。ちなみに、初心者がすることをすすめられる普通の数学の本の読み方は「本よりも圧倒的に詳しいノートを作ること」です。続く

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返信先: さん

続き。数学の解説はギャップを完全に無くすと量が膨大に成り過ぎて読み難くなり、省略し過ぎても読み難くなるので、著者がバランスを取ることが普通です。数学科初心者が最初にやるべきだとされているのは「省略されている詳細を完全に埋め尽くす訓練」です。続く

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返信先: さん

初心者が埋め尽くすことは無理なので、現時点でできる範囲内で埋めて行って、埋めることができない部分は数年かけて埋めればよいわけです。論理的に細かい部分を埋めたつもりになっている部分が間違っていたら1年後とかに訂正すればいいわけです。一発で完璧にやる必要は全然ない。

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返信先: さん

本よりも圧倒的に詳しいノートを作ることが初心者がするべき数学の勉強の一つの基本なのに、本に書いてあることしか書かない「写経」は初心者にとってギャップだらけの不親切な解説を写し取るだけのダメな勉強の仕方だと言われてしまうことになるわけです。

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返信先: さん

続き。何が書いてあるかまったく理解できないのでギャップを埋めるどころの話ではないという状況でさえ、単に写し取ること以外のことはたくさんできます。例えば、みんな、小学校の国語の時間に書いている内容を箇条書きにしたまとめ直すというような授業を受けたことがあるはずです。続く

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続き。小学生でもできることなんだから、高校生や大学生なら当然できると思います。できないなら、数学以前の問題なので、数学の本を読みながら、書いてある内容のすべてを別のもっと見易い形式でまとめ直す練習をすればよい。続く

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続き。あと、読もうとしている本に興味を持てる程度に理解はすすんでいるんだから、本の内容を自分のノートに見易くまとめ直した後には、ギャップを埋めることができる部分が少しはあるはずです。自信がなくてもそれをノートに書いてみることはできるはず。続く

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返信先: さん

続き。ノートに書いたことが数日後~数年後に間違っていたことに気付くのは普通のことなので、自信がないなら要注意マークをつけておくのがよいと思います。理解が曖昧な部分が残るたびにしるしをつけておけば安心かもしれません。続く

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返信先: さん

続き。一般的な場合の証明は全く理解不能であって、例えば一般のnの場合の証明は理解不能であっても、n=1の場合は自明かもしれない。自明だったら、その場合が自明である理由をノートに書いておく。n=2の場合を直接的な計算で確認できたら、それもノートに書き、n=3の場合にも挑戦してみる。

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返信先: さん

続き。一般の函数では難しくても、特殊な函数についてなら成り立つことを納得できるかもしれない。それもノートに書いておく。微積分の本の多くはそこに出て来る函数のすべてのグラフが描いてないのですが、コンピューターでグラフを描かせてノートに写し取ることは計算を追えなくてもできるでしょう。

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返信先: さん

続き。本に書いてあることが全く理解不能に感じられても、理解の助けになる可能性のあることは無数にある。そして、一発で完璧な理解をできなくても、数年かけて逐次近似的に完璧な理解に近付けばよい。初心者の段階ですべてを見逃さずに完璧にやるのは無理だと思います。気楽に試行錯誤するべき。

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返信先: さん

続き。「失敗する→やり直す」の繰り返しが基本なのに、そういう経路を避けたり、そうしなくてすむ方法を教えようとする人が多過ぎ。だから、「数学本の写経」に関する言説を徹底的に腐す必要があると感じました。単に本を写し取るだけなら失敗しなくて済みますからね。

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続き。大学入学の時点では受験勉強でした計算の経験は非常に役に立つはずの知識です。たとえばad-bc型の式には受験勉強をまじめにやっていれば何度も繰り返し出会っているはず。ax+by=pcx+dy=qを解けば分母にad-bcが出て来る。続く

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返信先: さん

続き。平行四辺形の面積や三角形の面積を求める問題の中にad-bc型の式が出て来る場面も必ず見ているはず。ad-bc型の式が数学のあちこちに普遍的に出て来てしまうことに気付くような勉強をしていれば、大学で行列式を習ってもすぐに何をやりたいかを納得できるはずです。続く

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返信先: さん

続き。ad-bc型の式は様々な計算で普遍的によく登場し、非常に役に立つ。役に立つ道具は一般化しておいた方がよいです。応用の範囲が広まり、ad-bc型の式を一般化した道具が整備されていれば数学的にやれることが大幅に増えます。それが行列式(determinant)です。続く

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返信先: さん

続き。ある種の大学新入生は、行列式に出会ったときに、n=2の特殊な場合が、受験勉強で繰り返し出会ったad-bcであることに気付いて「あれを一般化しようとしているのか」とすぐに納得できてスムーズに理解できるかもしれない。受験勉強のやり方に失敗するとそうならないかもしれない。

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返信先: さん

続き。高校の微積分で⌠_a^b (x-a)(b-x)dx や ⌠_a^b (x-a)(b-x)^2 dx や ⌠_0^{π/2} cos x sin^2 x dxのような計算をやらされたことを覚えている人は、大学でベータ函数について習ったときに「ああ、あれか」と思うはず。

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返信先: さん

「ああ、あれのことね」と思えると数学の理解はずっと易しくなります。そういうのがないと滅茶苦茶しんどくなる。数学の本を「まったく読めそうもない」と感じるケースでは、論理的スキルだけではなく、そういう教養が欠けている場合が多いと思う。私自身いつも教養の足り無さを実感しています。

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返信先: さん

大学1年に、行列式やらベータ函数やらがすでに受験勉強の中に出て来ていたことに気付いたなら、受験勉強でやったことを見直して、それもノートにまとめておく、というようなことをやれば楽しいと思います。そのノートをインターネットで公開すれば次の世代の受験生にとってものすごく役に立つと思う。

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